『設備技術者の修行時代④』-2

2021年12月13日

≪現場での色々な出来事≫

  • 鉄骨の上で見た東京オリンピック

分離発注とは言え、ゼネコンのコンクリート打ちへの協力は賦金(ブキン)の一部みたいなものであるから、新米はコンクリート打設時の「ツキヤ」をはじめとして、スリーブ入れ・箱入れは勿論鉄筋を番線で締める事までやらされた。コンクリート打設時にコンクリートが良くまわるように下の階で仮枠を叩くのは、もし仮枠が壊れたらとあまり言い気持ちはしなかった。

高い所は好きなので、鉄骨が上がるとよく上に登った。オリンピック開会式では、時間を見計らって鉄骨の一番上に上がり、自衛隊機が国立競技場の上空に五輪のマークを描くのを見物した。休みなど取れる状態ではなかったので、東京オリンピックで直接見たのはこのイベントだけであった。この頃は各競技はテレビで見られたのだから、忙しいと言ってもまだゆとりはあったのであろう。

  • 新米のチョンボ:電気熔接のアースを外す

学生時代にアルバイトで行った某ゼネコン研究室では、ハイテンションボルトの強度実験を手伝った。これからは鉄骨の組立てはリベット打ちでなくボルトの時代だよと言われたが、この現場ではリベットを使っていた。下で真っ赤に焼いたリベットを放り上げると、鉄骨の上で上手に受取る。落したら下の誰かが大やけどする恐れがあるが、落したのは見たことがない。手馴れた技とは言え見事なもので時々見物させてもらった。

鉄筋の接続も太物は電気を使う圧接工法であった。ある日鉄骨の上にケーブルの端部が放り出してあり、バチバチ火花が出ている。何も知らない新米はこれは危険だと思い床スラブ用の木製仮枠の上に置き換えた。上に登っていると下で鉄筋屋が「誰だ!アースを外した奴は」と怒っていた。

  • 徹夜のコンクリート打ち:

建築と設備が分離発注であったせいでもなかろうが、当時は工程管理なんて観念はなかった時代であるからコンクリート打ちは毎回夜間であった。配筋検査を受けてからでないと電気設備の打ち込み配管は施工させてもらえない。電気屋の職人さんは毎回のコンクリート打ちのたびにコンクリートに追われながら配管工事をしていた。我々は施工図を描きながら職人さんたちの徹夜仕事に付き合わされた。同じ事務所の電気屋K社の若手社員二人はこの現場で囲碁を覚えたばかりであったが、コンクリート打ちの度に徹夜囲碁(?)をやって腕を上げた。

  • 天井高で賃料が変わるか:

3階から上は各階の空調機室の位置は決まっていたが、1・2階は区分所有者の某銀行に半分スペースが取られていてこともあり、地下2階の空調機室から延々と給気・還気ダクトを展開するようになっていた。このダクトが地下一階の店舗内で展開されるため、この部分の天井高が2100になった。施主T社のTさんはもっと天井を上げろという。天井が低いとテナントからクレームが来るとのこと。「天井高が低いと賃料が変わるんですか」と問い詰めたりして、かわいくない担当者であったと思う。

  • シャフトを縮めろ:

Tさんからの要求は各階の排気シャフト(PS兼用)を少しでも縮めろという事であった。10センチ縮まると○○㎡貸室面積が増えるんだ。それで一月の賃料がこれだけ増えるからぎりぎりまで頑張って詰めてくれと言われ、ビル収支に関するデベロッパーの厳しさを知らされた。「うちが収支が良くなれば、君のところにも追加工事を払えるじゃないか」の殺し文句は結構説得力があった。

  • 喧嘩しても技術的な問題では譲るな:

「君たちは、技術の問題ではT社やT建設の連中といくらでも喧嘩していいからね」が現場所長Sさんの口癖であった。空調設備の黎明期でもあり、幸い先方の技術レベルがそれほどでなく、若手社員でも伸び伸びと主張できたのはよき時代であった。「僕は喧嘩するわけにはいかないからね」との言葉も、立場の違いを知らしめるものであった。

  • どちらのKさんですか:

ある日電話を取ったら「S君いるか」の声。「ハイ居ります。どちらさまですか。」「Kだ。」「どちらのKさんですか?」「会社のKだ」「ハイお待ちください」。Sさんに「会社のKさんからです」と受話器を渡したときに誰からの電話か気が付いた。Sさんは、ハッ、ハッとかしこまっている。社長からであった。「社長にどちらのKさんですかというなんて」と、しばらくはからかわれた。

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