(『マサカ』の話連載42~48)

設備技術者の修業時代

空調設備の守備範囲は広く、技術革新もあるので、何か必ず1つ以上のテーマをもって仕事に当るよう、よく言われた。物件一つに一つづつのテーマがあれば長い間の技術の蓄積は大変なものになる。自分のテーマについて手書きの厚い資料を作っておられる若手の方もあり、2センチぐらいの厚さの青焼き版(当時はゼロックスは数百ページの資料は全て手書きであった)をいただいたが、大変な刺激であった。この他、課内の会議でも若手社員の技術報告があり、「便覧」のある項目十数ページに相当するような厚い資料を発表する物も居り、技術の面で競い合うと言う雰囲気があった。

お世話になり、可愛がって頂いた方はたくさん居られるが、ヤハリ新入社員時代に近くにいた個性豊かな方々の話が印象に残っている。STビルが竣工したので、今回は諸先輩の語録を挙げる。

STビルの中央管理室にはT社の営繕の方々が常駐していた。この時代はビル管理会社はなく、所謂自社の管理技術者による管理の時代であった。石炭焚きボイラーは姿を消していたが、ボイラーマンの言葉は健在であった。ここの所長のSさんにはいろいろ教えていただいた。新しく大きなビルが出来たので中堅社員のほかに新入社員も配属されていた。

竣工前か後かは覚えていないが、恒例の追加工事に関するネゴ打合せが始まった。こちらはS所長Hさん、T社の設備担当はMさん。MさんはT社設計監理部発足時に筆者の会社で設計や見積もりの研修を受けている。「俺が実際に見積もりを作ったときは粗利を○○%かけろといわれた。原価だともっと安くなるはずだ。」「そんなに掛かってないって。Mさんがいたころと違うんだから、今はそんな見積もりはやってないですよ」なんてやり取りの後、最後は東京支店長が呼ばれて指値を押し付けられた。Mさんは僕らに「お前んところの支店長は喜んでお受けいたしますって言っていたぞ」と、だからやっぱり見積もりは高かったんだと言わんばかり。所長を始め「喜んで」は余計だったなと苦笑したことであった。

竣功は1ヶ月延びた。「竣功が延びて助かったですね」とSさんに言ったら、「誰に聞かれるか分からないから、そんな事は絶対に言ってはいけない」と叱られた。放火であるのは確かなので、渋谷警察署の刑事が毎日事情聴取のため、現場事務所に来て話し込んでいたのである。

T建設の所長は某大手ゼネコンからスカウトされて来た方で、元の会社の部下の方も主任クラスにいた、それ以外の主任にも大手ゼネコン出身者が数人いた。この所長は非常に頭の切れる厳しい方で、毎日の定例会議に出席するだけで工程管理や建築全般で参考になる話が多かった。部下の方は良くしかられていたので新人としては怖い方であったが、分離発注であるサブコンのスタッフには普通の対応であった。

設計に変更はつき物とある程度は知ってはいたが、新米にはやはり吃驚であった。(デベロッパー)T社が始めて作る大型ビルであり、高度成長の入口の時期にあってどのようなビルにするか試行錯誤の状況下でもあったのは仕方がない。

根伐段階ではまだ現場事務所はなく、分室の事務所から現場に通っていた。周辺一帯は近くの川の川底であり、地下水も多かったが綺麗な砂利がたくさん取れた。これでコンクリートを打てばいいのにと思った。

どこのゼネコンやサブコンでもお得意先を持っている。T工業㈱と某グループも緊密な関係にあり、それまでにも百貨店、ホテル、事務所ビル、アパート等々の工事実績があった。この他にも改修工事や営繕工事が継続しているので、現場の出先事務所があってSさんが常駐しておられた。同期のT君もここにいて小さいながら某銀行の支店の現場をまとめていた。その他女子事務員T嬢と工員(配管)のIさんがいた。

技術部門には以前から技術庶務課という技術情報を管理する専門部署があった。色々な雑誌等に発表された、業務に関する技術情報はいつでも青図にコピーできるようにA4版にまとめられていた。ゼロックスの無い時代であるから、マイクロフィルムから起こしたのであろうが、筆者が入社した時点でも沢山の資料がテーマ別に分類されて検索しやすいように整理されていた。筆者も随分利用させてもらった。当時は当たり前の事と思っていたが、これは現在でも結構大変なことである。又、後日竣工現場の完成工事報告書を書いたが、8ページもある大部なもので、設計情報ばかりでなく工事情報やその他の情報もまとめるようになっていた。今思えば流石に技術を大切にする会社だけの事はある。

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