『設備技術者の修行時代⑤』-1

2021年12月17日

『マサカ』の話 その46 『設備技術者の修行時代⑤』

山 本 廣 資

〔2〕STビル現場勤務時代(その3)

≪厳しかったゼネコンの所長≫

T建設の所長は某大手ゼネコンからスカウトされて来た方で、元の会社の部下の方も主任クラスにいた、それ以外の主任にも大手ゼネコン出身者が数人いた。この所長は非常に頭の切れる厳しい方で、毎日の定例会議に出席するだけで工程管理や建築全般で参考になる話が多かった。部下の方は良くしかられていたので新人としては怖い方であったが、分離発注であるサブコンのスタッフには普通の対応であった。

現場の工程は設備と建築の工事が交錯する。詳しい事は忘れたがガラリをつけなければいけない壁を塞がれて、仕上がったところを斫らなければいけないことがあった。これをゼネコンの所長に見つかり、担当主任と呼び出された。いきさつを説明したが、担当主任が余計な言い訳をしたばかりに所長は烈火の如く怒った。「ガラリをつけることが分っているところを仕上げる馬鹿がいるか!T工業の責任ではない。工程を把握していなかったお前が悪い」ということになって筆者にはお咎めなしであったが。僕は自分が叱られたわけでななく、一緒にそばにいるだけであったが小さくなっていた。この後の会議で「これからはゼネコンの時代になる。設備の仕事も理解して工程管理をしていかなければいけない」との趣旨の話をしておられたのは流石であると感心した。

≪竣功間近の火事≫

昭和40年4月10日(土)は僕にとって忘れられない1日となった。その日は食事の後いつものように、現場の並びのビルの2階にある「フルーツパーラー」でM君、T君、現場が忙しいのでこちらに来た事務の女性のIさん達と甘いものを食べていた。Iさんが現場事務所に勤務するようになってから、昼休みの行動パターンが「食事の後は甘いもの」に変わっていたのである。

外で消防自動車のサイレンがするので窓から覗いてみると駅前広場の人たちが現場の方を見上げている。以前から小さな放火があったので「現場が火事だッ!」と飛び出した。駅前広場から正面向かって左側7階の窓から炎と煙が出て窓ガラスの破片が、歩道上にある現場事務所の左端の屋根上に落ちている。T工業の事務所は右端である。事務所に入るとS所長がいて、今一番大切なものは施工図だから、近くの百貨店(T工業施工・アフターもやっていた)の管理事務所に預かってもらえ、と指示された。M君と一緒に施工図を丸めて、百貨店地下の管理事務所に持っていって預け、外に出ると消防自動車がたくさん来ており、ロープを張り巡らせていてもう現場には近寄れなかい。二人は現場の向かい側で火事を眺めるしかなかった。

7階の窓から出た炎が、8階のガラスをなめるように上がると、ガラスは簡単に破れ、炎はスーと8階に入ってしまった。アアこんなにして延焼するんだなと感心した次第である。後に同じような時期に竣工したホテル・ニュージャパンの火事をテレビで見たが、全く同じような延焼の仕方であった。内装材に不燃材使用を義務付けた消防法の改善は正しいことであると再認識した。

火元は7階、正面から左手奥のほうにある空調機室前に床Pタイル用の接着剤が置いてあって、そこに火をつけられたので、木下地・○○○仕上げの天井は簡単に燃えてしまったのである。火元の上階、8階の床は爆裂してしまった。空調機械室のFDはキチンと作動していたが、壁面からの熱気にあぶられ、空調機の外板に内張りしたエアレックスは膨れてしまっていた。ダクト類は勿論やり替えとなった。

この頃施主のT社に保険事業部が出来、いやがる工事関係各社が無理やり入らされた工事保険の適用第1号となったのは不幸中の幸いであった。

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