北海道地震の体験
台風と地震のダブルパンチ①(H.30.09.05,~06)
某財団のセミナーで5年前から省エネルギー関係の話をしている。
地方に行ったときは、その地にいる昔の会社の仲間と会うことにしている。
今年は9月6日に札幌でのセミナーに行くので、数年前に亡くなったサブコン同期の友人の墓参りを予定した。
しかしダブルパンチを食らって、セミナーも墓参りもお流れとなった。それどころか札幌から脱出するのに一苦労であった。
時系列で述べると。
9月5日 16:00 羽田発、 17:30 新千歳空港着・・・・ここまでは順調
・台風21号の影響で、千歳~札幌間のJRは不通。他も不通。さすが強力台風である。
・バスのチケット売り場は長蛇の列。
(セミナー関係の他のメンバーは乗車券を手に入れるだけで2時間!かかったとの事)
・サブコン時代の同僚に電話し、今晩の顔合わせの中止を連絡。
・念のためJRの改札で状況確認。
・この時に一緒に駅員に質問していた、旅行帰りのご夫妻に、TAXIの相乗りを提案。
・タクシー乗り場に上がったが、こちらも同様に長蛇の列。
・どうしようか迷っているうちに、旦那の方が、スマホで、電車が動くらしいとの情報を取得。
・再度地階の電車乗り場に行く。すでに行列ができている。
・18:40 ころからここに整列。
・ご夫妻は旭川に帰られるとの事。JRが動かないので、札幌まで迎えに来るように子供さんにTelしていた。
・20:30 列車出発、途中停車あり。新札幌駅で地下鉄に乗換え、東札幌駅下車、ホテル到着は10時前。
・ホテル内の、鶏料理屋で簡単な鶏料理とビールで夕食。入浴して12時30分ごろ就寝。
9月6日 03:08 北海道地震発生。もちろん目は覚める。
しかし以後の余震では朝まで目覚めず。
・早朝、亡くなった友人の奥方からTel。地震でいろいろ大変なので、墓参り中止の申し入れ。 ・ここで、停電、断水に気付いた。
・昨日のサブコン時代の同僚も、行くことになっていたので、7時ごろ墓参りの中止を連絡。
・財団の方(以後幹事と呼ぶ)よりTel(勿論携帯電話に)あり、地震によりセミナーが開催可能か調査の上連絡するとの事。
・結局、セミナー会場が、避難場所に指定されたとの事で、セミナー中止に決定。
・10:00 ホテルチェックアウト。
千歳空港閉鎖、飛行機は飛ばないとの事で、ホテルに宿泊を仮予約。
予約は、満室であったようであるが、来れない方もあるはずなので、総勢4名お願いしておいた。 ホテルの窓口の女性は「本日は満室でございます」と言った。「飛行機が飛ばないのに満室になるわけないだろう」と予約を入れた。
・ホテルを追い出されたら、行先は避難所しかない。
ホテルチェックアウト時に一緒になった、スポーツライターの女性と同行した。
・避難施設では、ペットボトルの水1本と、クラッカーを頂いた。
・大きな集会施設であるから、ホワイエは広い。
ホテルがだめなら、ここで寝袋を借りて仮眠もできる。
・スポーツライターの方から、いろいろなお話を聞いた。
ジャカルタのアジア大会にも行かれたそうである。
この方は、フリーのスポーツライターで、サッカーの代表選の取材で来ておられて、試合が中止となり、部屋にいても仕方ないので下りてきたところを、避難施設にお誘いしたのである。
取材依頼が来たらそこに行かねばならない。
次の試合は大阪で、台風のため開催されるかは不明であるが、札幌から本土への脱出ルートについて、いろいろ調べているのを見せていただいた。(つづく)
台風と地震のダブルパンチ②と本当の素泊まり
札幌の続きである。
スポーツライター女史が検索したり、メールでのアドヴァイスなどで札幌からの脱出ルートは沢山見つけた。
・丘珠空港からは、新潟便がある。ここにはタクシーで行けるが、座席が取れるかどうか?
・小樽からフェリーで新潟へ。
・苫小牧まで行けばフェリーがあるが、そこまで行くのが大変。
・函館からは、青森までのフェリーがある。(要予約)しかし函館まで行く手立てがない。タクシーは高い。
このルートは僕が見つけた、若い方にネット情報を提供できたのは素晴らしい!!
(役には立たなかったが・・・)
此処の避難所(札幌市コンベンションセンター)では、手洗いの水は流れないが、大便器の水は流れる。身障者用便所では、おむつ洗い用の流しの水が流れたので、ここで髭を剃って顔を洗った。
12時過ぎに、幹事とセミナーの先生一人が避難所に来所。
ボトル2本の水と、ドーナッツの差し入れを受けた。
幹事氏は、ホテルの隣のイトーヨーカドーの買い物客の列に並び2時間以上かかって、これらを手に入れたそうである(多謝!!)
セミナーの先生と話したら、トイレの洗浄水は雑用水ではないかとの事。
上水と別系統になっていれば、トイレは流せるのは当然である。
(発電機で照明は一部つけてあったので、このポンプも運転していたのであろう)
設備屋の勘も鈍ったか?
チェックイン出来るようになったとの事で、昨日泊まったホテルにチェックイン。
水も電気も使えないので、4000円で結構ですとのこと。これぞ本当の素泊まりであろう??!!
部屋にいても仕方ないので、再度避難所に行く途中で、レンタカー屋を見つけた。
入口は閉まっていたが、隣の事務室の窓が開いていたので、中の方といろいろ話をした。
電気が来ないので発券できない。どこかで乗り捨てられた場合、把握できないのは、困るとの事。
給油できない。停電のためガソリンスタンドで給油できなければ満タン返却できないことになる。
バスの場合も給油できなければ動けない。
ということで、すべては停電がいけないということになった。
避難所からホテルに帰る途中、ポリ袋に色々な食品を入れている方とすれ違った。
どこで売っていると聞いたら、ホテルの先のコンビニとの事。
外にはそれほど行列はなかったが、店の中は行列で満杯。
飲み物の棚は充実。ビールはそれほど冷えてはいないが、冷たいのでお茶と一緒に取り出す。
買い物かごはどこかに片づけた様で両手にもてるものしか買えない。
この他におつまみ類を買って部屋に戻った。
幹事さんからは、暖かいカレーライスの差し入れを受けた。
ビールを飲みながらこれを食べていると日が暮れる。
真っ暗になる前からやることはないので、6時半ごろから就寝。
途中で目を覚まし、暗い中でおしっこ。窓から覗くと他の店の袖看板と別のビルの屋上にネオンが点灯。
復電しているようであったが、どういう電気系統になっているのか気になった。
続く
台風と地震のダブルパンチ③
めったにない経験なので話を続ける。
9月7日
・早朝6時に、幹事から電話。千歳空港から午後の便は出航するので、すぐ出発との事。
・6時30分総勢4人でタクシーで出発。車の中で技術話。
・タクシーはプロパンなので、電気がなくても供給できるとの事。!
・7時頃、千歳空港到着、行列に並ぶ。昨日の方とは別の、もう一人の講師と技術話の続き。
・9時ごろドアが開いて建物内に入ったが、エスカレーターは閉鎖されていて2階には上がれない。 ここの行列に並ぶ。
・10時にエスカレーターが動き、夫々のカウンターで受け付け開始。
・ANAのカウンターまで走り、3人で行列に並ぶ。(もう一人の講師はJALである)
・順番が来るまで、ひたすら待機。(立ったままである)
・我々の列の前で、熱中症の方が出た。荷物にうつ俯せになっており、寝ているように見えたが、近くの方が気が付いて手当を始めた。ちょっと離れていたので僕は手伝わなかったが、幹事さんや講師の方は風を送ったりしていた。女性の方が首にタオルを巻いて水をかけて冷やしていた。空港の係りの方が来て、車いすで連れて行った。
・待機中に、NHKや、ネットのニュースに僕が映っていたことは帰ってから知らされた。
・前の方に近づいたので、チケットを貰った方に訊いたら、日曜日の航空券との事。
これは大変と覚悟を決めた。
・3人の中で、僕が一番最初にカウンターについたが、他の方は来ない。
一人なら空席はあるが、数人となると空席はない。別々に対応することとなった。
・当初、次の日の8日の午前の席が空いているということであったが、別の窓口の幹事さんが仙台行が空いているよというので、検索を依頼。こちらは取れなかったので、新潟をあたってもらったがこの便も空いていない。
・名古屋便があるとの事で、出発時間を確認、東京に帰るには十分余裕があることを確認して、搭乗券を確保した。
・幹事さんは仙台行、もう一人の講師は次の日の便となったが、後で聴いたら、幹事さんがネットでフィリッピン航空のマニラ行の便の、成田までの席を確保。講師は仙台、幹事は成田ということで、この日のうちに帰宅できたとの事である。
15:05千歳発、16:50名古屋中部国際空港着。名鉄の特急で名古屋に。名古屋に行ったら会いたい方もいるが、今日はパス。
・新幹線で帰京した。疲れた。(これを読んだ方から、読むだけで疲れたというコメントがあった)