定年後の仕事②:仕事の選択肢
平成12年(西暦2000年)の停年に際し、会社からはISO業務の継続と、大型再開発プロジェクトの常駐工事監理業務の申し出があった。
大型プロジェクトは面白く小生向きではあるが,今までの業務の延長でもあり,技術的には発展はない。
ISO関連は、社内業務に関しては書類管理関係のチマチマした業務であり、定年までに蓄積された技術を還元できる場ではないし、小生向きではない。
という事で、折角の申し出であったが、両方ともお断りした。
取り敢えず暫くは浪人となる。
実はこの決断は大学の先輩でもある常務氏の行動が参考になった。一回り年上の常務氏は相談役で残ることを提案されたが、お断りして自分の建築事務所を立ち上げた。
後日お伺いしたら「2年間何もしないで給料を頂くのはありがたいが、体がなまって、御苦労さんといわれる頃には何もする気にならなくなる。俺はそれは嫌だ。体力的にやれる時期に出来ることをやってみたい」という事であった。
社内の有能な契約社員の若手を連れて会社を立上げ、バブル崩壊後も何とか持ちこたえて、82歳まで社長をやっていたのは偉い。先ごろ亡くなった。
ISOについては、審査員としての業務については興味があったので、会社が登録を受けた審査機関の部長さんに停年前に相談した。
品質管理システム(ISO9000)に関しては、審査員は沢山いるが、環境マネジメントシステム(ISO14000)に関してはまだ審査員が少ないのでこちらの審査員の資格を取ることを勧められた。長年の業務内容がが、ISO14000向きであったのは勿論である。
講習会に参加し、審査員の資格を取って、某審査機関の審査員に登録してもらい、停年の年の夏ごろから日本全国あちこちの審査に行ったのは良かった。この業務は数年続いた。(詳細は後日)