◆50年以上経ってから実現したオーバーブリッジ
2020年10月12日
小生の最初の現場は、渋谷東急ビル(渋谷東急プラザ。建て直されて渋谷フクラス)である。この現場は設計計算書の見直しから、ダクト抵抗、配管抵抗迄細かく手計算し(パソコンのない時代)、根伐りの段階から竣工・アフターサービス・一年後の改修迄付き合った思い出深い建物である。
このビルで工事中(といっても鉄骨製作以前)に、設計変更で工事が1カ月延びた。プラザと駅との間のバスターミナル広場にオーバーブリッジをかけて、駅から直接ビルに行かれるような計画案が出来たのである。
1階の階高をあげて、駅のホームレベルに合わせるため、設計変更となったのである。
昭和40年6月のビルの竣工時点では、勿論オーバーブリッジ 計画は未着工。それだけでなく、旧東急プラザビルが取り壊されるまでの50数年間全く手つかずだったのである。(あの設計変更は何だったのか!!!)
という事で、出かけたついでに渋谷で途中下車して、東急プラザの2階から渋谷駅へのオーバーブリッジを利用したが、現時点では仮設で、京王線からの通路と合流している。東急百貨店西館2階からのJRの改札は閉鎖されており、乗り換えにはかえって不便である。
何れ最終的な形はなるであろうが、とりあえずの間は仕方がないであろう。
尚、昭和39年のオリンピックでは、このビルの鉄骨の一番上に上り、自衛隊機の描く5輪のマークを見たのが一番の思い出である。